らいぶにっき

行ったライブの備忘録です。記憶を辿って書いてるので内容は正確ではないです。

2019.10.22 折坂悠太のツーと言えばカー2019@名古屋ちぐさ座

ライブの遠征に行くときはどれだけ弾丸でもその土地の美味しいものを食べたくなる。今回の遠征でもそうだ。でも地元民の行きつけみたいなお店を知っているわけではないので、結局行くのは有名どころになる。今日のお昼ご飯は駅前のエスカの中の矢場とん。お昼時は店前にズラッと行列ができているのに、それを上回る圧倒的な回転率でお店が回っていて、列に並んでから5分後にはもう席について、美味しそうな揚げたてのトンカツに味噌ダレをかけてもらっていた。日本で一番豪華なファストフードじゃないかと思う。

 

ちぐさ座へ。ツアーののぼりが立つ入り口。少し大きな公民館といった感じの控えめな雰囲気だ。でも入り口には開場を待つ人の列が続いている。誰かのライブに行く度に思うのだが、アーティストの雰囲気とファンの人の雰囲気には何となく共通点がある気がする。やっぱり何か共鳴する部分のある人たちが集まっているから、どことなく性質が似てくるのかなーなどと考える。開場。ちぐさ座はステージをぐるっと囲むように席が配置されているのがすごく特徴的。真ん中にはギターと椅子と譜面台。シンプルだけどそれ故の美しさを感じる。そういえばシンプルで余計なものが削ぎ落とされているからこその美しさ、というのはさっき感じた折坂さんと、そのファンの人たちに共通する要素の一つかも知れない。

 

開演。折坂さんが登場して深々とお辞儀をする。円を囲むような舞台、見え方は違うけど、席によって値段が違うわけでもないから、どこを向いて歌おうかとか色々考えたというお話。そして位置によっては後ろ姿で語るような形になるかも知れないですと。こうして事前に断ってくれる丁寧さと優しさが好きだ。そして全方向を向いてそれぞれお辞儀をして折坂さんがはける。

 

折坂さんと青葉さんによるツアーのタイトルコールのあと青葉市子さんが登場。薄いピンク色のドレスがとっても素敵。今日のお昼は折坂さんとブラジルコーヒーに行って、折坂さんはB定食、青葉さんはアジフライ定食を食べた。だから今日はお昼に吸収したアジフライのパワーで歌う、というようなお話をして、本編へ。青葉さんのライブを観るのは初めてだったが、口を開いて声が発せられた瞬間に、その美しく心地よい高音の虜になる。青葉さんの歌声は一音一音が宝物みたいで、波のように広がって天に昇っていくようなイメージで、自分の持っていた「音楽」というものの概念が180度クルッと回転して変わるような衝撃を受けた。

青葉さんの歌は言葉でありながら「音」としての純度みたいなものがとても高いような気がして、自分が今までに聴いたありとあらゆる音の中で一番美しいように思った。こんな体験は初めてだけど、曲が終わった後に同じ空間で「拍手」という形で音を立てるのも憚られるような気分だった。自分が知らなかっただけで、こういうジャンルの音楽って他にもあるのだろうか。だとしても、ものすごい世界への扉を開けてしまったなという感動に打ちひしがれていた。

前半はハミングのような歌が多かった印象だが、後半では「音」だけでなく歌詞が「言葉」として届いてくるような変化を感じて、青葉さんの歌い方もさっきまでと変わっているような気がした。思えば折坂さんの曲も、風景がまざまざと目に浮かぶような曲と、歌詞がすごく印象に残る曲があるなーと気付き、この二人はそういった歌に何かを付け加える特殊能力の持ち主なんじゃないか?なんて思ってしまった。そして青葉さんの師匠にあたる方のカバーだという「機械仕掛乃宇宙」という曲。哀しげだけどどこか希望を感じるような曲調と歌詞が印象的で良かったな。

 

休憩を挟んで折坂さんの出番。一曲目は「櫂」。当然だけど青葉さんとはまた違った声の響き方だ!と思う。でも自然とか、土地の空気感とか、そういうところから得たパワーが歌になっている部分は共通しているような気がする。そしてこれも主観でしかないけど、青葉さんの歌のイメージが「宇宙」とか「天」なら折坂さんは「草原」とか「風」だなと思う。気持ちよく髪を揺らす風のような歌声が心地よい。あと、個人的に大きな違いに思えたのが、折坂さんの歌には観客の拍手がとてもよく馴染むということ。実体を捉えて的確に表現するのは僕には難しいし、お客さんそれぞれ感じ方は違うと思うけど、二人の声や曲にはやっぱり大きな違いがあって、そのどちらもがとても愛おしい。

MC。青葉さんと行ったブラジルコーヒーの話。サラリーマンのおじさんが何人か座ってコーヒーを飲んでいた。折坂さんが「美味しい!」と思って飲んでいるコーヒーもおじさん達は別に美味しいとも思わずに飲んでいるのだろうと思い、でもそんなコーヒーみたいな音楽をやりたい、というような話だった。そういえば、今日のライブも非日常という意味では「ハレ」の日なんだけど、大袈裟に飾り立てられているわけではなく、あくまでも日常と地続きに馴染んでいるなと思う。ワーッと盛り上がる非日常的な興奮も楽しいけど、生活の流れの中にあってじわじわとワクワクするようなライブも素敵だなと改めて感じた。そして、butajiさんとの共作の「トーチ」。文脈が変わると意味が変わっていく、言葉の面白さを感じる歌詞が良かったな。

折坂さんは自分で歌を作っているというより、何かに歌わされているような、そんな気分になる時があるという話。今回のツアーで、岡山に行った時にらい病の歴史館を訪れたが、そこの展示にあった歌詞を見て、おこがましいかも知れないけど、自分の歌と同じだと思った、という話からの「さびしさ」。でも僕はこの曲はすごく前向きな曲だと思うのだ。もちろん歌詞もそうだけど、明るく希望を感じさせるような曲調と折坂さんの声が、歌詞を前向きな形で昇華している。「言葉」と「音」が調和しているからこそ、ぐっと胸を打たれるような気分になるのかも知れない、などと考えながら聴いていた。

 

アンコールでは折坂さんと青葉さんでセッションをする。二人の声は全く違う良さがあると感じていたけれど「みーちゃん」でお互いの声が調和していくのは素晴らしかった。以前、青葉さんは渋谷のライブの帰りに、全力疾走で終電を目指す折坂さんを見つけた。ギターケースのポケットから百合の花束が覗いていて、どこを見るわけでもないけれど何かを見据えているような折坂さんの目がとても綺麗だった。本日最後の曲はそんな情景を歌にした「百合の巣」という曲。青葉さんの情景の描写がとても具体的で「折坂悠太」という人の性格とか人柄がにじみ出てくるすごく面白い曲だった。

 

明日は普通に仕事だから新幹線で帰る。でもやっぱり夜ご飯は名古屋で食べたいから、大急ぎで名古屋駅の味仙に向かって台湾ラーメンを食べてから帰ることにした。あんなにゆったりした素敵な空間でライブを見て色々思うことがあったのに、自分の欲張りな性格は全く変わらないのが悲しい。日常と非日常の境は曖昧で、一つの出来事で何かがガラッと大きく変わることはないけれど、でも見たり感じたりしたことは、少しずつ日々の生活に良い影響を与えてくれるんじゃないかとも思う。次に名古屋に行くときは、地元の美味しいお店でアジフライ定食を食べたいな。